今回は斎藤佑樹投手についてまとめてみました。
斎藤佑樹投手と言えば、田中将大さんと同世代に活躍した甲子園のスター選手。
大学野球を経て日ハムにプロ入りしますが、中々結果を残せないできました。
そろそろ結果を出さなければいけない時期ですが、そもそもどうして今まで戦力外にならなかったのでしょうか?
気になるところをまとめてみたので、どうぞご覧ください!
斎藤佑樹投手が遂に引退か?
あの斎藤佑樹さんが遂に引退するかもしれないという噂が入ってきましたが、本当なのでしょうか?
確かにここ数年、というか入団から殆ど活躍していなかっただけに、引退という文字は冗談に思えなくなっています…。
実際調べてみると、確かにここまで結果が出ないのであれば引退を考える年なのかもしれませんが、
本人は明確に引退という言葉を使ってはいない様です。
既に30歳を越えましたし、同世代で入団した選手は軒並み球団の主力級になっています。
一つ下の中田翔は既に日ハムの主将。
相当肩身が狭いとは思いますが、今年は一軍に開幕から登録されていたりなど、監督からは期待されている様子。
早々に二軍降格となりましたが、何とか調整し、今年こそは一軍で活躍してほしいですね!
引退とは違う?登録抹消の本当の理由
因みに登録抹消という言葉はよく聞きますが、引退とはどう違うのでしょうか?
野球にあまり詳しくないと、「登録抹消されたならクビなのかも」と思ってしまいそうですよね。
登録抹消というのは、その名の通り、一軍からの登録を抹消するという事らしいです。
二軍落ちするのは実力不足だと言われていますが、登録抹消は長期離脱の意味も含まれているとのこと。
斎藤選手の場合、肩の調子があまり良くなかったことや、以前『ポルシェ問題』の際に
金品受理されているため、調整と反省の意味を込めて『登録抹消』されたことが何度かあったようです。
因みに金品受理からクビになるケースは非常に少なく、あの桑田真澄元投手も事件を起こした際
1000万円の罰金と登録抹消で反省させられていたようです。
ポルシェやマンションをおねだりしていた事も?
先述しましたが、斎藤投手は過去にポルシェをおねだりし、新車でポルシェを買ってもらったこともあります。
流石に新車で2000万近くするカイエンは無理だったものの、
新車のマカンを買ってもらったという事実が、球団関係者に衝撃を与えました。
この新車を提供したのがベースボールマガジン社の池田社長。
記者からの質問では事実を認めており、斎藤選手から『鎌ヶ谷の二軍練習場に行くための車がほしい』とおねだりしたことが発覚。
これを受けて球団は登録抹消をし、反省の意味を込めて長期間チームを離れることに。
更には池田社長が保有しているマンションまで提供していることが発覚。
『斎藤には頑張ってほしいから』という理由で提供したそうですが、金品受理はやってはいけないことなので
登録抹消は自業自得ですね。。
是非とも今年は活躍し、自身の給料から新車でカイエンを購入できるようになってほしいところです。
◆2019年までの成績
斎藤投手のこれまでの成績を見ることにしましょう。
2011 19試合 1完投 *6勝6敗*0H*0S 107回0/3 *62奪三振 防御率2.69
2012 19試合 2完投 *5勝8敗*0H*0S 104回0/3 *59奪三振 防御率3.98
2013 *1試合 0完投 *0勝1敗*0H*0S **4回0/3 **1奪三振 防御率13.50
2014 *6試合 0完投 *2勝1敗*0H*0S *26回0/3 *20奪三振 防御率4.85
2015 12試合 0完投 *1勝3敗*0H*0S *42回1/3 *24奪三振 防御率5.74
2016 11試合 0完投 *0勝1敗*0H*0S *23回2/3 *14奪三振 防御率4.56
2017 *6試合 0完投 *1勝3敗*0H*0S *28回0/3 *14奪三振 防御率6.75
2018年は一度も登板していないので割愛。
入団1-2年目はそれなりに活躍していたようですが、3年目からは二軍と一軍を行ったり来たり。
二軍での調整が長く続きますが、同時に肩を痛めて中々登板できない年が続きました。
しかし関係者によると2019年の斎藤選手は『何か違う』というらしいです。
例年より開幕前から調子が上向きで、今年こそは一軍に定着できるかも…と期待されているとのこと。
もし本当であれば、また人気は再燃し、スター選手に返り咲きできるかもしれませんね!
◆どうして戦力外にならないの?
そもそもどうして斎藤選手は戦力外になったりしないのでしょうか?
鳴り物入りで入団したのにもかかわらず、目立った成績を残せないでいます。
酷な言い方かもしれませんが、球団からすれば『期待外れ』感が凄いはずです。
それでも斎藤選手が日ハムから戦力外とされないのには、ある理由がありそうです。
斎藤選手は成績こそ目立った活躍はありませんが、その人気は未だに非常に高いと聞きます。
プロ野球も人気商売ですので、当然人気が高い選手が集まってくれば来るほど球団は
グッズの売り上げが伸び、資金が潤沢に潤います。
斎藤選手が2019年は復活しそうという事であれば、また人気は再燃し、グッズは売れるでしょう。
つまり成績こそ残してはいないが球団の看板選手なのには間違いないため、
人気がある限りは手放したりしないというのが、本当の理由らしいです。
◆斎藤佑樹のプロフィール
それでは斎藤選手のプロフィールを確認していきましょう。
出身地 群馬県太田市
生年月日 1988年6月6日
身長
体重 176 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月17日
年俸 1,830万円
斎藤佑樹選手は群馬県出身のプロ野球選手で、現在は日本ハムファイターズに所属しています。
高校時代に田中将大選手と連日熱闘を続け、最終的に田中将大率いる北海道苫小牧を倒し、甲子園優勝。
その当時、野球少年で汗を拭くときにハンカチを使う選手が居なかったため、
汗を拭く姿とルックスから『ハンカチ王子』とも言われ、社会現象を巻き起こしました。
高校卒業後は早稲田大学に入学し、野球部に所属。
史上初となる1年生MVPを獲得したことにより、大学野球のスター選手として君臨しました。
その後ドラフトを経て日ハムに入団しますが、そこからは苦難の連続でした。
早くに肩を壊し、また練習しない性格だったため、動悸で入団した選手や後輩から成績や年棒で追い越されることに。
中田翔とダルビッシュと上手くいかなかったこともあり、球団内で次第に孤立していきますが
監督は現在まで斎藤選手を見放したことはありません。
確かに結果は残せていませんが、その分監督の期待は高いと言えます。
なんとしても活躍して自信を付けてほしいと思っているのでしょうね、監督の優しさが伺えます。
今年は調子がいいとのことなので、是非一軍に定着してほしいと思います。
◆高校大学時代はスター選手
先述しましたが、大学時代はスター選手と言っても過言ではないかもしれません。
他にもプロに入団して活躍している選手はいますが、知名度で言えば斎藤選手が頭一つ抜けています。
大学時代は実績の方も素晴らしく、六大学野球での成績は30勝300奪三振の大記録を打ち立てました。
高校~大学とみれば半端ない記録ですね!
勿論ドラフトは競合1位指名で日ハムに入団し、連日球場にメディアが押し寄せる社会現象に。
大学時代の勝利インタビューも特徴的で、『持ってる』発言で周囲を大いに沸かせました。
ただ、全体的に早稲田は練習量が多いチームではなかったため、練習不足とアフターケアを怠った結果、
投手にしてみれば致命的な肩の故障を引き起こしてしまいました。
◆怪我で低迷…しかし地道なトレーニングとフォーム改善で復活を狙う
肩の故障は長引くことも多く、斎藤選手も例外ではありません。
ルーキーイヤーの1年目と二年目ではある程度の登板数を誇ったものの、三年目以降は二軍での調整の日々。
トレーナーからは筋力アップと体幹強化、それから地道な柔軟を入念に行うように指示されたと言います。
しかし練習があまり好きではなかったことから、指導役だったダルビッシュ有選手と衝突してしまいます。
最初こそ仲が良かったものの、余り忠告を聞き入れない斎藤選手に対してダルビッシュ選手は見限ってしまったと噂も。。
ダルビッシュ選手からしてみれば本当に活躍してほしいからこそアドバイスしたのに、上の空だったとしたら怒って当然です。
結果、後から入ってきた中田翔が活躍するにつれて球団内では次第に孤立してしまいます。
この頃から基礎トレーニングが大事だと気が付き、何年もかけて調整してきたと言われています。
結果不仲になってしまいましたが、あの事件がなければ一生気が付けなかったかもしれません。
何にせよ、ダルビッシュ様様と言ったところでしょうか…?
◆2019年は一味違う!斎藤佑樹、オープナーとして起用か?
少し前から言われていたようですが、2019年の斎藤佑樹は一味違うと噂されているようです。
2回1失点。打者9人と対戦、全31球、被安打1、四球2、奪三振1。
相手はメジャーリーガーである。上出来と言っていい。
2イニング目を投げたところで監督から交代を告げられましたが、調子は好調の様子。
因みに交代は他の先発の調整の為だったそうです。
とはいえ、2イニングで交代したのには他の意味もあるそう。
同試合を観戦していたア・リーグ中部地区チームのスカウトがこう質問してきた。
「『オープナー』という投手継投策が、メジャーでは流行りなんだ。
ファイターズもサイトーをオープナーで使っているのかい?」
どうやらメジャーのスカウトからはそのように映ったそうで、
それは監督の考えとしているところが一緒かどうかは分かりませんが、
少なくとも中継ぎで起用するという案はもとからあったようです。
オープナーとして起用するために交流戦で状態を見たとのことでしょうか?
この交流戦の後、二軍降格していますが、すぐさま『事情が変わった』とのことで1軍に戻った斎藤選手。
もしかしたらこの時監督は『オープナーとして起用できる』と確信したんでしょうか?
結果は今年のペナントレースで分かるかと思うので、暫くは見守る事にしましょう!
◆まとめ
今回は斎藤佑樹選手についてまとめてみましたが、如何でしたか?
華々しい学生時代を過ごしながら、入団後は一転して苦境に立たされている斎藤選手。
しかし今年こそは一軍で活躍する姿を見せ、もう一度輝きを取り戻してほしいと思います。
数年ぶりの勝利インタビューを見れる様に、今年もゆるく応援していくとしましょう。
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