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名司会者であらゆる番組でも引っ張りだこ、コメンテーターとしても他の出演者との絡みでも必ず的確なレスポンスをみせてくれるマツコデラックスさん。
今日はそんなマツコさんの噂に迫ってみたいと思います♪
マツコデラックスの本名は松井?
過去の雑誌の特集で明かされました『松井貴博(まつい たかひろ)』が本名です。
ちなみに『マツコ・デラックス』の命名理由ですが、本名の『松井』と言う名字に対して、
「しぐさが女の子っぽかったことから、名字の”松”に子を付けてマツコとなり、
さらにゴージャス感をプラスしてデラックスを付けたことで、”マツコ・デラックス”となった」
とご本人がおっしゃっていました。
最近のスッピン・私服
マツコさんのすっぴん写真ですが思いのほかたくさん出回っています。
ご覧いただければわかるとおり、現在でも普段は女装はしておらずむしろいかつめな外見で過ごされており、
私たちが普段見ているマツコさんとのギャップにただただ驚かされますよね。
ただ下のように、東スポでいきなり素顔を公開されたときはさすがのマツコさんもお怒りになったそうです。
また、私服・おしゃれに関して、マツコさんは週刊誌の取材に以下のように語られています。
「全く興味なくなった。裸が隠れて捕まらなきゃいい」と投げやりな言葉。
「もう6~7年、服買ってない」と明かし、「私服は2パターンよ。1個洗濯して、次の日もう1個着て。(番組は衣装のため)移動の時だけだから、痛まない。
靴なんて10年ぐらい(同じブーツを)はいてる。歩かなくなったから(靴底も)減らないのよ」と豪快に語った。
実際に出回っているマツコさんの私服姿がありますが、非常にシンプルな着こなしをされていて、
いつもテレビで観るようなゆったりとしたワンピースドレスだったりというのは普段は着ないようです。
普段のマツコさんは、メイクにしろファッションにしろ実に自然の状態で過ごされていました。なんだか飾らない人柄がみえるようで好印象のように感じます。
昔の写真を公開
マツコさんの昔の写真は上部にもすでにたくさんでていますが基本プライベートはごく一般的な男性の装いでした。
しかし、芸能界にでられる辺りの頃はドラアグ・クイーンとしてTV番組に出演されていたのでした。
2002年(当時30歳)にソニー・マガジンズから出版された『アタシがマツコ・デラックス!』
この時のマツコさんは現在のように聡明ではなく、ノー天気に明るくはっちゃけたマツコさんという感じでした。
説特力のあるトークはなぜ?
幅広い世代から支持を集めているマツコ・デラックスさんですが、その支持者の多くがあげるマツコさんの最大の魅力というのは、絶妙なトークスキルです。
【1】求められたことをきちんとする
「私は番組の賑やかし役なのよ!」番組スタッフから渡された台本や共演者リストを見て、自分が求められたポジションをしっかり理解し、まずはその役割をきちんと果たそうとする。
面倒くさいことも逃げずにしっかりこなす。
【2】相手の言葉を丁寧に拾う
マツコさんの“話のキャッチボール”の上手さです。共演者からふられた話題を上手に受け取りつつ、持論を展開していきます。
人に意見を言うとき、アドバイスをするときなどにも、その言葉が相手に響くかどうかは、
この自らを振り返る、内省の行為が、日々きちんと出来ているかどうかにかかっています。
【3】自分の立場や、その場でのポジション・役割をわきまえている
毒を吐いている時に、きちんと自分のことを振り返りながら語っているかというと、そうは見えない人がほとんどなんですよね。
その場での自分の役割を認識し、誰が仕切っているのか、あるいは誰が意見を言うべきかなのかを把握すること。「客観性」が大切。
【4】裏表がない生き方を表す
素直に物を言っているように見えるが、かといって誰かを強烈に痛めつけてるわけじゃない。ただ物事の真髄を突いているのだ。
恨み口調や、「いや、やっぱりいいです」といった言い方は、本音が別にあるという印象を持たれる。
「今言っていることが、自分のすべて」というくらいの口調で話す。
【5】上から目線にならない
「私が言えた義理じゃないんだけど」「理解できないわけじゃないけどね」という前置きをするだけでも、目線の位置は下げられます。
人を批判するなとは言いませんが、もし批判をするならば、マツコさんのスタンスを倣って、自分自身の胸に手を当て、
自分自身の愚かさ醜さを、しっかり自覚し、その上で語る。
出演者たちが協力しながら笑いを取っていくスタイルに手応えを感じた明石家さんまは、
その時にポツリと「(FC)バルセロナみたいやな」とつぶやいた。
サッカーの超一流クラブチームを引き合いに出した最大級の褒め言葉を聞いたマツコは、
「あぁ。その言葉やっと貰えた」とのうれしさから帰宅後思わず涙を流した。
マツコのプロフィール
まずはマツコデラックスさんの気になるプロフィールです!
出身地:千葉県千葉市花見川区
生年月日:1972年10月26日
身長:178cm 体重:140㎏
所属事務所:ナチュラルエイト
マツコ・デラックスさん、小学校高学年の頃に幼馴染の従兄弟に性的な魅力を感じた経験から自身が男性同性愛者であることを自覚されたそうです。
実は漫才師「シンデレラエキスプレス」の松井成行さんはマツコさんの従兄弟であり、
2011年の週刊文春で「従兄弟の中で唯一の男性であるため(この話の従兄弟とは)自分のことかもしれない」と語っています
キムタクと同級生だった!?
マツコさん、高校は県立犢橋(こてはし)高等学校に進学しましたが、そこにはSMAPの木村拓哉さんも同級生でいらっしゃいました。
この辺りがネットではいろんな噂となっていますが、本人たちのコメントなどを掛け合わせると以下にまとまりました。
・木村拓哉さんが犢橋高等学校にいたのは1年間だけ、以降は芸能界のデビューに伴い東京の高校へ転校した。
・マツコさんも木村拓哉さんも演劇部ではなかった。(そもそも、木村拓哉さんはバスケ部でした。)
・木村拓哉とマツコさんは二人で屋上に行って、早弁をするような仲だった。
(こちらだけはご本人からの情報ではありません。逆に全く面識がなかった説もありますが現在に至るまでの2人のやりとりからだと面識がないというのは考えずらいと思われます。)
・木村さんがマツコさんが同級生だったと聞いていたが、誰がなったのかさっぱりわからずにいた。
とのことでした。
経歴
高校卒業後は、東京マックス美容専門学校に進学し美容師の資格を取得し美容師として働くのですが、マツコさん「何かが違う」と葛藤を抱くようになります。
その後、ゲイ雑誌「Badi」編集部に転職。記者・編集者をされていましたが、20代後半に退職。
その後しばらくは、実家で引きこもり生活を送っていたマツコ・デラックスさんでしたが、
ある日中村うさぎさんから対談のゲストとして指名されたことで、活躍が注目され芸能界に出るきっかけとなったようです。
2000年頃に入り一気に持ち前の巨漢と毒舌、トークスキルの高さなどで注目され始め、
2005年TOKYO MX『5時に夢中!』にコメンテーターとして活躍し以降もレギュラーに抜擢されます。
2009年フジテレビで初の冠番組『マツコの部屋』を放送開始して以降、
『マツコ&有吉の怒り新党』『月曜から夜ふかし』『アウトデラックス』『マツコの知らない世界』などの人気番組を続々と持ち現在に至る。
マツコ・デラックスの子供時代とは?

子供の頃から、自分が男性同性愛者だと自覚して、ちなみに「幼なじみの従兄弟に性的な魅力を感じた」と言うことがあったらしのです。
マツコ・デラックスの高校時代とは?

高校は地元の千葉県高等学校で、先ほどの記載した通り、元SMAPの木村拓哉と同じ出身校です。
高校卒業後に美容に興味があり,マックス美容専門学校に入学。卒業後は一回は社会人として就職しますが、美容師は退職してしまいます。
その時は「何か違和感を感じた」と話ています。。。
次は転職して、ゲイ雑誌の編集者マンとして記者や編集などの仕事をしたそうです。その後は引きこもりになったそうです。
【マツコ・デラックス】の誕生のきっかけ?

引きこもりだったマツコに救世主が現れました!!
作家、小説家、エッセイストの中村うさぎでした。この中村うさぎとの出会いが芸能界に入るきっかえとなります。ある意味恩人と言うことですね。

芸能界デビュー後はマツコ・デラックスの持ち味である「辛口トーク」が炸裂し、ブレイクしていきました。
まとめ
マツコさんの独特の生き方や考え方は中身がぎっしり詰まっており、ご自身の経験の中に思慮に思慮を重ねた結果であろうと思います。
私たちが普段の生活でここまで気づけて、さらに実行に移すことはなかなかできることではないですよね。
マツコさんの意識の高さを改めて思い知らされましたし、私たちがマツコさんから学ばせていただいてる気がしてありがたくすら感じます。