目次
歌舞伎役者の家系に産まれながらも俳優の道に進み、
記憶に古くない大ヒットドラマ『半沢直樹』で主人公のライバル役大和田常務役を演じ高い評価を得た香川照之さん。
その後『市川中車』の名前を襲名して歌舞伎の世界にも入られ、現在では俳優との2つの世界で活躍中のようです!
今回はそんな香川さんに焦点をあててみたいと思います!(。+・`ω・´)
香川照之の離婚理由とは?
香川照之さんは仲の良い家族をお持ちの印象でしたが、2016年12月に21年間連れ添った奥様知子さんと離婚していたことが報道されました。
市川團子(政明)くんの親権は香川照之さんが持たれていますが、この事態には香川さんご本人が囲み取材に応じ、離婚について改めて報告をされました。
香川は「今回はひとえに私の力不足でこのような結果になってしまいました。お騒がせしてしまったことを深くおわび申し上げます」と頭を下げた。
離婚の理由については「経緯も含め離婚をしたという事実以外は何も語らないということを約束してますので」として明かさなかった。
香川さん、元客室乗務員といわれる一般女性の方と1995年にご結婚。
奥様は仕事を辞めて専業主婦となり、俳優として活躍する夫を支える献身的な妻だったとのこと。
男の子と女の子の2児の父になられた香川照之さんでしたが、一体なにがあったのでしょうか?離婚原因を詳しく調べてみました!
厳しい梨園のしきたり

夫である香川照之さんの歌舞伎界入りによって、奥様にとって歌舞伎役者の夫の影に徹し、
さまざまな役割をこなしていかなければならない『梨園における妻の役割』が相当なストレスになったのではないかといわれています。
梨園には厳しいしきたりが多数存在し、その条件をクリアした女性でなければ梨園の妻には認められないようです。
以下、梨園の妻の役割を羅列してみます。
・一般的な礼儀作法はマナー講師レベルが必要。

・またそのお礼状以外にも、時候の挨拶、ご案内や挨拶状、年賀状などを送る作業もあり、それらは基本は毛筆で数千枚、または数万枚の上る量を手書きで書く。
・舞台公演のチケットは『常に完売』。妻の仕事であいさつ回りでより多く捌く。売れ残れば夫と家に恥をかかせたとされてしまう。
・上演されるものだけで50種類、総数で200種類以上あるとされる歌舞伎の演目を覚える事
・着物の選び方から
一人で短時間で支度できる様にしなければならない。
・何千着もある舞台衣装や着物を代わる代わる毎日虫干し。
・季節の行事を覚えること。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24節気、それをさらに細かく分けた72候を覚えることが必要。
・跡継ぎを生むことでも特に、家系を守るために『男の子』を産むこと。
目立たずに陰になる。家族を守る『器の大きさ』が必要。芸の肥やしとされている酒・女遊び・喧嘩・ギャンブルに夫が手を出しても柔軟に対応する。
・役者の妻としての華やぎも忘れてはいけない。
梨園でのいじめ
また、知子夫人に対する先輩方の陰湿ないじめも噂されていました。
「劇場ロビーで挨拶をする際も、知子さんにとっては知らない人ばかり。でも後ろ盾がない彼女には教えてくれる人もいないのです。
そのうえ香川さんは父の後をついて回らなければならないため、現場は彼女が仕切らなくてはなりません。
しかしそんな彼女への先輩妻たちの対応は冷ややかでした。
面と向かっての嫌がらせはなかったものの、知子さんが挨拶をしても無視するなど“いじめ”のような状態が続きました」
夫への対応に不信感?
後述していますが、香川照之さんの息子さんも歌舞伎界デビューされています『市川團子』くんですね。
彼が大役を担った2013年10月の春興鏡獅子の『胡蝶の精』について、
歌舞伎・長唄囃子の田中傳左衛門さんが自身のブログで一緒に同役を演じた松本金太郎くんを引き合いにして、
市川團子くんのことを『只の駄馬』と罵った投稿をしたことが発覚しました。
当然ながら、この時の知子夫人のショックは相当なものだったようですが、
この時の香川照之さんは、相手が大物ということもあってか息子の批判に対して、何の対応もしませんでした。
最終的にはファンがそのブログにクレームを出し記述が削除されるにいたりましたが、
この出来事で知子夫人は『息子を守らなかった』香川照之さんに対する不信感が根強く残ることになってしまいました。
普通なら数十年かけて学ぶ歌舞伎の芸を、香川は短期間で覚えなければならない。
そのうえ、映像の仕事もある。自分のことだけで手いっぱいという状態が続き、自然と芸事以外はすべて知子夫人任せになっていったという。
そもそも2011年以降には大ヒットドラマ『半沢直樹』ドラマなどで香川照之さんの俳優業自体が非常に忙しくもなっており、
香川照之さんが当時ご家庭にまともに向き合えるような状態ではなかったと推測されます。
離婚にいたるまで
公の場で知子さんに限界の兆候が出始めます。
2014年7月の舞台の際にはいつもの知子夫人の姿は無く、妻が行わなければならないロビーでの挨拶回りなどを香川照之さんの母・浜木綿子さんが行っていました。
2014年9月のイベント、またはそれ以降にも知子夫人の姿はありませんでしたので、周囲からはご夫妻を心配される声が上がっていました。
実際にそのあたりから、香川さんご夫妻の別居は始まっていたようです。
14年の夏、香川はそれまで家族で暮らしていた都内の自宅から、別のマンションへ引っ越していたのだ。
本誌はそんな香川が引越し先から仕事場へ向かう姿を何度も目撃していたが、妻だけでなく子供たちの姿さえ一度も見かけなかった
そんな2014年11月の舞台『十一月花形歌舞伎』で、約1年ぶりに知子夫人が登場されます。團子くんは歌舞伎にのめり込み、
稽古に熱心に取り組んでいたそうで知子夫人も心を動かされたようです。また関係者の話しでは、
「『いつか俺も歌舞伎役者として息子といっしょにロンドンに立ちたい。その夢のために力を貸してくれ』と心の内を明かし、
知子さんに土下座せんばかりに頼み込んだそうです」
と香川照之さんが知子夫人に懇願していたとのことです。
しかしながら、これが夫婦間にできてしまった溝を埋めることにはならず、ついに弁護士を間に入れての離婚協議までに至ってしまいました。
知子夫人は初めから歌舞伎役者の家に嫁いだということではないので、色々な出来事によってご苦労されてきたことだと思います。
それゆえのご決断だったのでしょう。。。
プロフィール
日本国内ではかなり味のある実力派俳優として知られている香川照之さんですが、幼少の頃からなかなかご苦労を経験されていたようです。
本名:香川照之(かがわてるゆき) 9代目市川中車(いちかわちゅうしゃ)
出身地:東京
生年月日:1965年12月7日 身長:171cm 血液型:AB型
小中高:暁星学園
最終学歴:東京大学文学部社会心理学科卒
所属事務所:ロータス・ルーツ
香川照之さんは、ご両親である市川猿翁(三代目 猿之助)さんと浜木綿子さんの元に誕生。しかしながら、
ご両親は離婚されてしまいます(香川さん当時3歳)。
離婚後は母親に育てられ父親とは一切接点を持つことがなく、成長してから何度か父の元を訪れているようですが、父からはこっぴどく拒絶されていました。
1989年NHK大河ドラマ『春日局』小早川秀秋役で俳優デビューし、1994年には『病院なんか怖くない』で映画初主演となる。
以降は数多くの映画やドラマなどに出演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。独特の演技から『主役喰い』との異名も併せ持つ。
2011年9月27日、香川が九代目市川中車を襲名して歌舞伎俳優に進出も果たし現在にいたるようです。
父・猿翁さんとの関係は現在では修復され、稽古なども付けてもらっているようです。
どうやら猿翁さんですが、2009年に長年連れ添った女性藤間紫さんが亡くなり、その後ご自身も脳梗塞にかかるなど、
大変心細い日々を送っていたところでようやく香川さんが入り込めていけたようです。
父との関係はきっと長年の願いでもあったことでしょう。後述にもありますが、自分の家族や家系をとても大切に思われている方ですね。
息子が悲願の歌舞伎役者デビュー
香川照之さんの息子 政明くんは、2012年6月の『六月大歌舞伎』で歌舞伎役者デビューされました。歌舞伎の世界でのデビューとは、2~3歳のようですがこの時の政明くんは8歳でした。
芸名:5代目市川 團子 本名:香川政明(かがわ まさあき) 生年月日:2004年1月16日
香川さんは、父・猿翁さんのお名前は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)といい、
息子には同じ『政』を使った政明となづけたのですが、そのことを政明くんデビューの際に説明しました。
「息子の名前に祖父、父と同じ“政”の字を使ったのは、この日のためでした」
また中村芝翫さんも、香川さんの息子に託した想いの強さを代弁されました。
「(息子の)團子君のことを第一に考えていて。
自分が中車になるというより、團子君を澤瀉屋(屋号)の道へ行かせたい、歌舞伎役者のDNAを守りたいというのが、すごく強かったんですよね」
2013年10月には政明くん、春興鏡獅子の“胡蝶の精”という大役を果たすまでになりました!
ちなみに政明くん、学業に関しては香川照之さんの東大卒と嫁の知子さんの元CAの遺伝子をしっかり受け継いでおり、名門 青山学院に通われているようです。
学校関係者は次のように話す。
「政明くんはクラスでも積極的に発言するタイプで、いつも彼の周りには友達が集まってくるリーダー的な存在だそうです。
女の子にも優しいって評判ですよ」
香川さんにとってはとびきり自慢の息子さんであろうことかと思います。
香川照之の母親とは?
母・浜木綿子(はまゆうこ)さんですがご存知の方も多いと思いますが元宝塚出身の女優さんです。
浜木綿子(はまゆうこ)プロフィール
1935/10/31生まれ さそり座 B型 出身:東京 身長:157cm
1953年に宝塚音楽学校を卒業後に、宝塚歌劇団に40期生として入団。
娘役として当時は寿美花代さんなどの相手役を演じており、成績も入団当時で64人中3位とかなり優秀な劇団員だったようです。
その後1961年4月に宝塚歌劇団を退団し、女優に転身。
主な出演作品
【舞台】
人生は、がたごと列車に乗って 女将の花道 玉つき屋の千代さん 肝っ玉姐さん奮闘記 夢芝居一座 大吉夢家族 喝采〜愛のボレロ〜 極楽町1丁目 喜劇口八丁手八丁! 売らいでか【テレビ】
監察医・室生亜季子シリーズ
1965年のNHK大河ドラマ『太閤記』出演中に妊娠が判明し、浜さんはそのまま同番組を途中で降板し、その年の12月に生まれたのが香川照之さん。
1968年香川照之さん1歳の時に、夫である市川猿翁さんが16歳年上の愛人である藤間紫さんの元へ移り住んだため、香川さんが3歳の時に夫婦は離婚。
香川さんは浜が引き取り、母(香川さんの祖母ですね)の協力のを得ながら、女優として息子を育てました。
藤間紫さんとは、有名なところでは『極道の妻たち』に出演されていましたが、岩下志麻さんを超えずとも劣らない、
その圧倒的な存在感を発揮されていた印象がありまして、実に魅力的な女性なのかもしれません。
昆虫番組をスタートしたきっかけとは?
子どもの頃から昆虫が大好きだった香川照之さん、2016年から不定期ですがNHK Eテレの教養番組『香川照之の昆虫すごいぜ!』に絶賛出演中です。
「自分は単に昆虫の変な生態が好きなんじゃないんです!
本能のままにまっすぐに生きる昆虫の姿が最高にいいんです!」香川の熱い語りは止まらない。
ケータイまみれで時に自分を偽って生きねばならない子どもたちや、軟弱になったとか草食系とか言われる男子たちにそんな昆虫の姿を見せたい。
人間は昆虫から学ぶことがたくさんあるんです!
NHK Eテレ側では、そんな香川さんにカマキリの着ぐるみで昆虫のすごさと面白さを伝える科学番組を依頼したことで、
香川照之さんがカマキリ先生となり、子カマキリたちに熱い授業を始めるというながれ。
カマキリ先生が凄い!
草むらを見るとムラムラする昆虫マニアだとご自身を表現されている香川照之さん。
香川さん『香川照之の昆虫すごいぜ!』の中では、カマキリのきぐるみを着て自らを『カマキリ先生』と名乗っており、
昆虫に対する熱い思いをひたすら子カマキリ役の子どもたちに、または視聴者に熱弁している様を見ることが出来ます。
番組内では上のような名言をいくつか生んでおり、今までの香川のイメージとは全く異なる状況から当然、ネット上でも話題となっていました。
「俳優生活苦節28年、やっと本当にやりたい仕事ができました!」
・・・なんだか、このすごく少年ぽいところが香川さんの新しい魅力になっていきそうですね!
まとめ

香川照之さんについてでしたが、最後は完全なオチになっていますね!笑
毎日全力で頑張られているイメージが香川さんにはありますので、これからの躍進に期待しつつもいろいろな香川さんを私達に見せてほしいなぁと思います!
[…] 引用:芸能人MATOMEDIA […]