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日テレの看板番組の「笑点」。2018年7月2日に司会者であった桂歌丸さんが死去されました。
笑点メンバーとの絡みも番組の見所でしたよね。
長年日曜日の夕方の顔番組で、知らない人がいないですよね。近年は体調を崩す事が多くなり、心配されていました。
その追悼の声も多数聞こえてきます!
今回は桂歌丸さんが入院していた病院などを調べていきたいと思います。まずは歌丸さんのプロフィールからみていきましょう。
桂歌丸さんが死去した病院?
2008年ぐらいから肺炎、肺気腫、慢性閉塞性肺疾患などの病状と、合併症で入退院を繰り返していました。
いったいどこの病院に入院されていたのでしょうか!?詳しくは発表されておらず、「横浜市内の病院」とされています。
桂歌丸さんの自宅は「横浜市中区」だということなので、自宅から近い病院ではないか?と推測されます。
近くの病院ですと、、、
神奈川県立循環器呼吸器病センター
横浜市立大学附属病院
の2つの病院が近くにがあります。
桂歌丸さんの場合、様々な合併症に発展する可能性があり、最新の設備、対応できる人材が必要だとすると、「横浜市立大学附属病院」ではないかと考えられます。
以前も入院していたの噂もあり、今回もこの横浜市立大学附属病院に入院されていた可能性がありそうです。
桂歌丸さん死去の原因は?

今回お亡くなりになった病名は慢性閉塞性肺疾患。
これまでの病名をみても肺に関する病気が多く見受けられます。
慢性閉塞性肺疾患とは、、、
気道が狭くなる状態(閉塞)が持続する病気で、肺気腫や慢性閉塞性気管支炎、またはその両方に伴って発生します
慢性閉塞性肺疾患(COPD:chronic obstructive pulmonary disease)とは、従来、慢性気管支炎や肺気腫と呼ばれてきた病気の総称です。
タバコ煙を主とする有害物質を長期に吸入曝露することで生じた肺の炎症性疾患であり、喫煙習慣を背景に中高年に発症する生活習慣病。
少なからず、長年のタバコが影響している可能性が高そうですね。
タバコ本数は関係してる?
歌丸さんは若い頃からスーパータバコ好きだったそうで、その本数は1日40〜50本とかなりの量でした。
吸っていたのが写真の缶ピース(缶ピー)を言われる銘柄でした。
1日2缶ぐらいは吸っていたとすると、どうしてもこれまでの病気との因果関係が疑われますね。
桂歌丸さんの優しさエピソードとは?
歌丸さんはお弟子さんに「俺を使え」と良く言ってそうですよ。
それは「俺を会に呼んで客を集めろ」と「俺の名前を出して笑いを取ってもいいんだ」という2つの意味で、優しさだったと言われています。本当に優しい方なのんでしょうね!
笑点でやっていた時の「自虐ネタ」も、その優しさだったかもしれませんね。
桂歌丸と円楽さんの関係とは!?

桂歌丸師匠と円楽さんはかつて三遊亭楽太郎時代の円楽師匠とよく、
「お互いをバカにする小競り合いネタ」で見てる人をお笑いの渦に巻き込んでいました。
「笑点」大喜利メンバー、三遊亭円楽(68)はこの日、地方の仕事先で歌丸さんの死を知った。
日本テレビを通じてコメントし「とうとうしゃれにならなくなりました。
4月、5月そして6月20日にも、お見舞いに行って話ができました。4月は目が合うだけ…。前回は笑っていろいろと、下世話な話をして、タタタタ~パパパパ~パンダの宝はパンダ!!
としゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました」と振り返った。
桂歌丸プロフィール
なんと、落語芸歴64年という長きに渡り落語会の発展に尽力されてきた桂歌丸さん。
名前:桂 歌丸(かつら うたまる)
本名:椎名 巌(しいな いわお)
生年月日:1936年8月14日(現在の年齢81歳)
出身中学校:横浜市立吉田中学校(神奈川県横浜市中区)
出身高校:横浜市立横浜商業高等学校定時制中退
身長:165cm
体重推定:35kg前後
趣味:釣り(川、湖)、切手収集、歌舞伎鑑賞 、化石コレクター、ジッポー集め
事務所:株式会社オフィスまめかな
趣味は釣り、切手収集だそうですよ。調べていくと「釣りに関する本」も出版されていました。
本の内容は落語家らしい視点で書かれているようで、面白そうですね!!
読者からのコメントはこちら⇩⇩
月刊「釣り画報」で紹介されていたので読んでみました。30年前の本ですが、釣り人がやってることは変わりませんね~(笑)。「釣れてよし、釣れなくてよし、人生竿一竿」。


略歴など

落語家になろうと決めたのは小学4年生の時。
そして中学校3年生の時に、5代目古今亭今輔さんに弟子入りして、その道を目指しました。
その後下積み時代を経て、1964年に「古今亭今児」から現在の「桂歌丸」へと改名をします。
1964年:桂歌丸に改名。
1965年:「金曜夜席」大喜利メンバーとして初出演。
1966年:「日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーとして出演。
1968年:真打に昇進 (落語界の身分で最も高く優れている)。
1979年:文化庁芸術祭賞受賞。
1991年:横浜文化賞受賞。
2004年:落語芸術協会会長就任。
2005年:芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2006年:5代目「笑点」の司会に任命。
2007年:旭日小緩賞受賞 (日本の勲章)。
2010年:横浜にぎわい座の2代目館長に就任。
放送当時から、レギュラーメンバーとして番組を支えてきましたが、1966年に始まった「笑点」では、一時降板したこともあったそうです。
2004年には落語芸術協会の会長へ就任。
2005年には芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2007年には旭日章を受賞されていらっしゃいます。
またそれ以外でも、たくさんの賞を受賞、館長などに任命されていらっしゃいます。これは今までの「絶え間ない努力」があったからだと思います。
近年は体調を崩し入退院を繰り返していましたが、ギリギリまでの舞台へ立ち続けました。
子供はいるの!?
桂歌丸さんには「娘さんが1人」がいらっしゃるようで、42歳の時に生まれたそうです。
娘さんは2018年現在だと、40を迎える年だと思います。
ただし、ネットで調べても詳しい情報はありませんでした。
今までメディアに取り上げられたこともないので、写真すらありません。
これは、娘さまへ「自分の好きな道に進みなさい」ということなのかもしれませんね。
歌丸さんのメーセッジのようなものを感じます。
若い頃の写真が素敵すぎ!?
特に右下の写真は渋すぎですね。笑
お年を召しても「変わらない」ですね。ファンの中では年を取っても変わらないと有名です。
髪型も長年変わっていませんね。若いころは落語でご飯が食べれなかったので化粧品のセールスをしたことも。。
化粧品のセールスも同じ喋る商売だから良いでしょと勧められてやった時期もあったけど、落語とは全然違う。
洗顔クリームとポマードを間違えたりめちゃくちゃだったからね。
この苦労した時代があったからこそ、プライベート、仕事でも常に低姿勢だと言われています。
今までの病歴は?
桂歌丸さんは、ざまざな病気をされていっしゃいました。
1973年:脱腸で手術
2001年:急性腹膜炎で手術
2006年:腰部脊柱管狭窄症で手術
2009年:肺気腫の感染で入院
2010年:肺炎で入院
2012年:再び腰部脊柱狭窄症で手術
2014年:慢性閉塞性肺疾患で入院、帯状疱疹で再入院
2015年:腸閉塞
2016年:肺炎
2017年:肺炎で再度入院、肺炎で再々度入院
愛煙家の桂歌丸さんは50年以上の喫煙をされており、
その影響で肺疾患の病名が多いですね。近年は酸素ボンベをつけて生活をしており、体重は36kgまで減っていました。
桂歌丸さんの葬儀は?

桂歌丸さんのご葬儀は7月10日にご自宅のある横浜市内の葬儀場で執り行われました。
2日に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため81歳で亡くなった落語家の桂歌丸(本名・椎名巌=しいな・いわお)さんの葬儀・告別式が10日、横浜市内の斎場で、家族葬として営まれた。
桂米助(70)や三遊亭円楽(68)らを含む近親者約50名が参列し、最後の別れを惜しんだ。
翌日11日には神奈川県・妙蓮寺でお別れの会をおこなったそうです。
11日に神奈川・妙蓮寺で営まれるお別れ会では、林家木久扇(80)、桂米丸(93)、
落語協会会長の柳亭市馬(56)が弔辞を読み、三遊亭小遊三(71)と歌舞伎俳優の中村吉右衛門(74)があいさつする。
たくさんの人に愛された桂歌丸師匠だからこそ、多く参列者の方が訪れたそうですね。
まとめ
落語に対して直向きに取り組み続けて60年以上。
私たちにたくさんの笑いを提供してくれました。この功績はすべの人たちの記憶に必ず残るでしょう。
そのマインドはお弟子さん、笑点メンバーが引き継いでくれると思います!!
本当にありがとうございました。
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